静岡県の田子ノ浦から見た沼川と富士山の眺め。
正面に写っている四角な帆を揚げた比較的大型の帆掛け舟は、ベザイ(弁才或いは弁財)船と呼ばれ、米千石を積むことが許された。沼川は富士川水系の河川の一つで、江戸時代から明治初期にかけて、水上交通路として極めて重要だった。大量の米が江戸までこの水路を利用して運ばれた。
富士山は、浮世絵絵師や写真家に画題として人気が高く、この神聖な山を描いた浮世絵や写真、絵葉書は、数知れない。特に田子ノ浦からの眺めは好まれた。そして、この写真にあるような帆掛け舟が描かれていることが多かった。
この場所は歌人達も好んだ。万葉集に50首の和歌を残したことで知られる山部赤人(山邊赤人700~736)は、ここで創作意欲をかき立てられて一首の和歌を詠み、これは日本で古くから好く知られた歌集である小倉百人一首に入っている。
田子の浦ゆ
うち出でてみれば
真白にそ
富士の高嶺に
雪は降りける
今はこの辺りは工業化が激しく、チップ、紙パルプ、穀物、セメントなどの工場や石油精製所が数多くある。このため、環境問題が深刻で川と田子の浦の水質は甚だしく汚染されてきた。
この汚染は、1950年代から特に悪化し漁業資源破壊の原因ともなった。1960年代に全国的な水質管理の法規制が導入されてからは、水質はいくらか改善され、これほどの工場があるにも拘らず田子の浦には漁師が多少残っている。
しかし、この写真のようなロマンチックな眺めは、最早見られない。山部赤人があれほど見事に詠った富士山の雪だけが残っているが、地球温暖化が進めば、これさえ直ぐに消え去るだろう。
富士山については、「1890年代の富士山 • 静岡県泉からの眺め」に詳しい。
このグーグルの地図では、現在の田子の浦港の位置を示している。
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1900年代の富士山・静岡県田子ノ浦、オールド・フォト・ジャパン。2022年06月27日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/832/fuji-tagonoura-shizuoka)
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写真番号:70215-0004
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