大阪の御堂筋線工事を写した1930年代初頭の絵葉書。この路線は大阪最初で、日本初の公営の地下鉄。
この地下鉄は1933年(昭和8年)5月に、大阪市北部の梅田の仮駅と南部の心斎橋との間で開通した。地下鉄の建設にあわせて道路も6メートルから44メートルに拡張されたが、大阪市民の間ではこの新しく御堂筋と名付けられた道路には飛行機も着陸できるという冗談が流行った。
各駅は八両編成の地下鉄に対応する長さがあったが、最初は僅かに一両編成だったので、乗客はその短い地下鉄が停まるところまで走らなければならなかった。現在の乗客が、車両の扉毎に決められた場所で規律正しく並んでいるのとは大きな違い。
この梅田―心斎橋間の路線は全て手で掘られ、地層の構成が極めて悪かったことと技術が貧弱だったことに悩まされた。この二つの要因が重なって、計画の初期には北部の建設現場では大量の漏水と陥没が生じた。
この頃の映像を見ると、新しい技術と従来の工法がいかに共存していたかがわかる。例えば車両を線路に載せる場合、機械と牛を利用し、また電動リフトはあったが、作業員はシャベルで掘った。(次のビデオ参照)。
大阪で近代的な交通システムが始まるのは遅かった。東京では1882年(明治15年)に馬が牽く路面電車が開業したが、日本第二の都市であった大阪で路面電車の建設が始まったのは約20年後の1903年(明治35年)になってから。このように遅れた原因は、大阪都市部独特のレイアウトにあった。大阪の中心部は過密で、それを運河が細かい網の目のように区切っていて、道路は極めて狭かった。また優れた渡し舟のシステムもあった。しかし、大阪の成長の速度が速く、前世紀の初には渡し舟では最早対応できなくなっていた。
これ等の問題の解決法として、大阪市は道路を拡張し、狭い木製の橋を大きな石と鋼鉄製の橋に架け替え、広範な路面電車を建設した。ユニークなことに、大阪市はこれらを自前で行ない、その収益を建設工事のための膨大な借入金の返済に充てた。
1920年代になると、大阪の成長が再び交通システムの大きな負担になり、市当局は地下鉄システムを建設することを決めた。この計画を推進したのは、学者市長の関一(1873~1935)の力が大きい。彼はこの交通システムは、大阪の中心部と新しく計画された郊外を結び、多くの部落や民族別居住区の恐るべき貧困を解消するチャンスと見た。更に、御堂筋線の建設工事は大恐慌が齎した多くの失業者に仕事を与えるものと見た。
関市長のビジョンだった、統合的かつ広範な公共交通ネットワークが遂に実現したのは、大阪が1960年代の経済ブームの間の交通渋滞に溺れてしまった時である。この時大阪市は意欲的な地下鉄建設計画をスタートさせ、1969年(昭和44年)までには無数の路線拡張を行い、全く新しい四つの路線1を建設して、路面電車システムを実質的に全て廃止してしまった。
1933年の開通以来御堂筋線は再三延長された(「地下鉄御堂筋線の年表」参照)。現在の全長24.5キロの路線になったのは1987年(昭和62年)。北大阪急行鉄道が江坂からの延長路線を運用しているので、全長は30.4キロになる。御堂筋線はJR西日本の大阪駅や私鉄5社のターミナル駅と接続しているので、年間の乗客数は約459万人と大阪で最も利用者の多い地下鉄路線になっている。平日のラッシュアワーには、10両編成の地下鉄が各駅に2分おきという驚くべき間隔で発着する。
この路線は、大阪の新ビジネスや梅田、淀屋橋、本町、心斎橋、それに難波のショッピングと娯楽センターを養い、大阪の中流階級が大阪から郊外に移転することを容易にして、大阪を変貌させた。不幸なことに、関市長が夢見た都市の貧困と差別の解消は、未だ完全には実現していない。

地下鉄御堂筋線年表
昭和8年 (1933) | 心斎橋・梅田(仮駅)間開通 |
---|---|
昭和10年 (1935) | 梅田本駅完成 心斎橋・難波間開通 |
昭和13年 (1938) | 難波・天王寺間開通 |
第二次大戦中 | 工事中断 |
昭和26年 (1951) | 天王寺・昭和町間開通 |
昭和27年 (1952) | 昭和町・西田辺間開通 |
昭和35年 (1960) | 西田辺・あびこ間開通 |
昭和39年 (1964) | 梅田・新大阪間開通 |
昭和45年 (1970) | 新大阪・江坂間開通 |
昭和62年 (1987) | あびこ・なかもず間開通 |
脚注
1 中央線(1961年)、谷町線(1967年)、千日前線(1969年)、そして堺筋線(1969年)が開通した。四ツ橋線は1943年に開通。
2 Osaka Metro Groupのサイトに現在の大阪地下鉄路線図(日本語版、英語版、韓国語版、中国語版、タイ語版)がある。
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1930年代の大阪・御堂筋の地下鉄建設、オールド・フォト・ジャパン。2025年04月29日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/493/御堂筋の地下鉄建設)
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写真番号:70808-0015
巽孝一郎
御堂筋線の天王寺~昭和町間は昭和26(1951)年12月20日に開通いたしましたがu型随道は南海平野線の踏切から昭和町駅の入口の手前にありましたがそれはどうやら本当のことでしょうか、
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ドゥイツ・キエルト (著者)
@巽孝一郎:誠に申し訳ございませんが、ちょっと答えません。
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