伊勢佐木町と賑町の間一帯は、劇場街として外国人には知られていた。
1877年(明治10年)頃から、この通りには劇場、茶屋、料理屋が数多くあって、多くの人々が集まって来て明治時代(1868~1912)中期の横浜で最も賑やかな場所になっていた。
この写真は、松ヶ枝町(現在の伊勢佐木町二丁目)にあった勇座の辺りの、1887年(明治20年)から1897年(明治30年)当時の様子を見せている。1899年(明治32年)の火事でこの辺りは消失して、全てが永久に姿を消してしまった。
劇場、上演芝居、役者などを宣伝しているこれ等全ての幟を見ると、日本で現在ネオンサインが大変好まれているのが何故かがわかる。事実ネオンサインは電気幟だ。私は幟のほうが好きで、風にはためく様子やその音がたまらない。また環境面からも幟のほうが遥かに好い。
伊勢佐木町について更に詳しく知り、1910年代に同じ場所で撮られた写真を見るには、「1910年代の横浜 • 伊勢佐木町二丁目」を見て欲しい。
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1890年代の横浜・伊勢佐木町二丁目、オールド・フォト・ジャパン。2025年02月08日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/589/isezakicho-jp)
ライセンス可能
この写真はライセンスも可能です。ストックフォト(写真素材)を専門とするエージェンシーMeijiShowa(明治昭和)では、 明治、大正、昭和初期にかけてのアーカイブ写真・イラスト・ならびに古地図を、 エディトリアル・広告・パッケージデザインなどのライセンスとして販売しております。
写真番号:71005-0007
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