71005-0007 - Isezakicho, Theater Street, Yokohama

1890年代の横浜
伊勢佐木町二丁目

撮影者 日下部金兵衛
発行元 日下部金兵衛
メディア 鶏卵紙
時代 明治
場所 横浜
写真番号 71005-0007
注文 デジタルデータ
著者
翻訳者

伊勢佐木町と賑町の間一帯は、劇場街として外国人には知られていた。

1877年(明治10年)頃から、この通りには劇場、茶屋、料理屋が数多くあって、多くの人々が集まって来て明治時代(1868~1912)中期の横浜で最も賑やかな場所になっていた。

この写真は、松ヶ枝町(現在の伊勢佐木町二丁目)にあった勇座の辺りの、1887年(明治20年)から1897年(明治30年)当時の様子を見せている。1899年(明治32年)の火事でこの辺りは消失して、全てが永久に姿を消してしまった。

劇場、上演芝居、役者などを宣伝しているこれ等全ての幟を見ると、日本で現在ネオンサインが大変好まれているのが何故かがわかる。事実ネオンサインは電気幟だ。私は幟のほうが好きで、風にはためく様子やその音がたまらない。また環境面からも幟のほうが遥かに好い。

伊勢佐木町について更に詳しく知り、1910年代に同じ場所で撮られた写真を見るには、「1910年代の横浜 • 伊勢佐木町二丁目」を見て欲しい。

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公開:
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引用文献

ドゥイツ・キエルト()1890年代の横浜・伊勢佐木町二丁目、オールド・フォト・ジャパン。2025年07月17日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/589/isezakicho-jp)

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写真番号:71005-0007

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