男が一人、俵を一杯に積んだ牛車の傍に立っている。俵は米、炭或いは穀物類を保存するのに使われた。
1000平方メートルの水田からは、普通七俵の米が獲れた。明治時代(1868~1912)まで、米は食料としてだけでなく、通貨でもあった。税金は米で納められ、大名の規模は領地からの米の年間収穫量で表された。これを量る単位が石で、一石はほぼ180リットルに相当する。俵一俵の米は約半石。1
石は、長さの単位の尺と重さの単位の貫から名付けられた尺貫法と呼ばれる昔からの度量衡法の一つ。
尺貫法の容積の単位は:
一勺は約18ミリリットル
一合は約18センチリットル
は約1.8リットル
一斗は約18リットル
一石は約180リットル
十勺は一合
十合は一升
十升は一升.
十斗は一石
となる。
明治時代の日本は、西洋の産業技術を取り入れるという極めて意欲的な計画を建てたが、これらは全てお互いに関連しており、一つの大きなシステムを構成していることに間もなく気づいた。そこで、度量衡法も共通でこれ等新技術に適用できるものにすることが最も重要なことになった。
当初日本は、西洋の度量衡法を日本のやり方に適合させようと試みたが、科学者や政界・産業界の指導者層は、それは機能しないことに直ぐに気づいた。例えば日本の時計は、季節や明るさ、暗さによって変わるので、これによって通常の汽車や工場の時間を定めるのは事実上不可能だった。
そこで日本では、時刻や月、重さまで全てのものを量るために全く新しい方法を採用した。1873年には新しい暦と24時間制が標準になった。1886年にはメートル法を採用。1890年にはこの制度を使うことが法制化されて、日本はアジアで初めてこの制度を全国で導入した国となった。
メートル法が導入されても、尺貫法が全く姿を消したわけではなく、現代のニーズに合せて修正されさえした。これ等新しい度量衡法が普及するには、事実20世紀の中頃までかかった。2
1966年になって、尺貫法を認証や契約に用いることが遂に禁止された。しかし尺貫法はこの禁止措置さえ何とか生き延びて、今日までメートル法と平和裡に共存している。例えば不動産屋は、今でも坪(3.3平方メートル)や畳(標準的な畳一枚の広さ)を、面積を表すのに使っている。
脚注
1 Griffis, William Elliot (1876). The Mikado’s Empire. Harper and Brothers, 610.
2 Morris-Suzuki, Tessa (1994). The Technological Transformation of Japan: From the Seventeenth to the Twenty-First Century. Cambridge University Press, 84. ISBN 0521424925
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1890年代・牛車と米俵、オールド・フォト・ジャパン。2025年11月08日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/459/ushigurama-komedawara)
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写真番号:70523-0008
スマ
7俵は100平方メートル当たりでは在りません、1000平方メートル当たり(10a)です。
#000114 ·
ドゥイツ・キエルト (著者)
直しました。Thank you!
#000115 ·
異業種交流会東京
貴重なお写真ですね。
当時は米俵といえば資産のようなもの。
トラックもなり当時の男手の力は貴重だったのでしょうね。
#000129 ·
ドゥイツ・キエルト (著者)
そうでしょうね!
#000130 ·