片方の乳房を露わにした、大変楽しげな女が田舎道のような道路で大きな炭俵三つを担いでいる写真。
田舎の女性は、夏に働く時は身体の大部分を剥き出しにすることが多かった。男は褌一本だけということが多く、都会でさえそうで、特に貧しい地域に住む労働者の場合はそうだった。
ビクトリア時代の道徳に慣れた西欧から来た慎み深い旅行者は、このような露出に大きなショックを受けることが多く、旅行記や手紙によくそのことを書いている。
19世紀のイギリス人旅行家イザベラ・ルーシー・バード(1831~1904)は、1887年(明治20年)に日本の奥地を広く旅行し、「日本奥地紀行」で人々の身につけているものの少なさに驚いたことに触れている。1
私は見たままの真実を書いている。もし私の書いていることが東海道や中仙道、琵琶湖や箱根などについて書く旅行者の記述と違っていても、どちらかが不正確ということにはならない。しかしこれが本当に私にとって新しい日本であり、それについてはどんな本も私に教えてくれなかった。日本はおとぎ話の国ではない。 男たちは何も着ていないと言ってもよいだろう。女たちはほとんどが短い下スカート腰のまわりにしっかり結びつけているか、あるいは青い木綿のズボンをはいている。それは脚にぴったりしたもので、上部はだぶだぶである。青い木綿の着物を腰まで開けっぴろげて帯に端折り、青い木綿の手拭いを頭のまわりに結んでいる。着ている着物からは、男か女かわからない。顔も、剃った眉毛とお歯黒がなければ見分けがつかないであろう。 短い下スカートは本当に野蛮に見える。女が裸の赤ん坊を抱いたり背負ったりして、外国人をぽかんと眺めながら立っていると、私はとても「文明化した」日本にいるとは思えない。

これは、バードがこの著作の中で見たものを批判的に書いた数少ない例の一つ。「日本奥地紀行」を読むとバードは驚くほど心が広く、何事にも容易に動じない人であることがわかる。外国人が未だ極めて稀なこの時代に、バードは日本人ガイド一人を連れただけで、東京から日光へ旅し、更に青森から北海道内陸まで訪れている。
日本の奥地を旅行した西欧の女性は、それまで誰もいなかった。訪れた土地の多くでは、バードは初めて見る外国人だった。道路はないに等しいこともしばしばで、宿には蚤が蔓延り、寝る前に着替えるのを見ようと、物見高い住民が襖を開けることもあった。
しかしこのような窮乏を体験したにも関わらず、バードは明治時代(1868~1912)初期の日本の様子をありのままに極めて公平に書いている。特に、女や子供の日常生活、それに夫が子供達にどれほど暖かく接しているかという記述は、男性の旅行者が殆ど書いていないだけに、明治時代の日本の家族生活を洞察したものとして、稀で貴重なものである。
脚注
1 イザベラ・バード(1911)。「日本奥地紀行」高梨健吉訳。平凡社(1973年):93−94。
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1890年代・炭を運ぶ女、オールド・フォト・ジャパン。2023年09月23日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/240/sumi-hakobu-onna)
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写真番号:80129-0009
keiji harada
昔の女性は 働き者で 力も あったんだねー 頭が下がりますね!
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ドゥイツ・キエルト (著者)
@keiji harada:現在の女性と変わらないと思います ☺️
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