京都嵐山の川に浮かぶ丸太。背景に渡月橋が見える。
この橋で川の名前が保津川から桂川に変わる。更に上流では大堰川と呼ばれる。この川は保津峡、またの名嵐峡という、息を呑むような渓谷を流れる。
この渓谷は急流が多く、目を驚かすような岩の眺め、美しい山の眺めを楽しめる。亀岡の保津橋から始まり、嵐山の有名な渡月橋で終わる。
1948年(昭和23年)頃まで何百年にも亘って, この川は人や、米、大麦、小麦、炭、木材などの物資を遠くは丹波から運ぶ水路だった。
この川は淀川につながっており、国道や鉄道のできる遥か以前から大阪へ物を早く運ぶルートとして、無限の可能性があった。巨大な大阪城や幾つかの寺院の建材でさえ、この川を下って運ばれた。1606年頃には、名高い京都商人の角倉了以(1554-1614)が狭かった峡谷を広げる工事を行ない、京都の主要な商業ルートになった。.
これらの丸太は川を更に流れ下って、丸太町から車で二条まで運ばれ、ここで製材された。(「1890年代の京都 • 鴨川」を見て欲しい。)
1895年(明治28年)に始まった、川を二時間で下る「“>保津川下り」は観光客に人気が高い。現在、季節によって変化する峡谷に魅せられて川を下る観光客の数は年間約30万人。
1932年(昭和7年)の保津川筏下り。
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1890年代の嵐山・川に浮かぶ丸太、オールド・フォト・ジャパン。2025年02月08日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/373/kawa-maruta)
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写真番号:71205-0016
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