1891年(明治24年)にオープンした中之島公園は、大阪に初めてできた公共の公園。
淀川を堂島川と土佐堀川に分けている中之島に作られた。江戸時代、これら2つの川の岸には武士が住んで領国の物産を大阪で売るための蔵屋敷が並んでいた。19世紀末までには、この辺りは急速に江戸の面影を失い、大阪の近代化の中心となった。
この写真では見えないが、西洋風のビルが次々に建てられた。
大阪の最高級洋式ホテルは自由亭で、1881年(明治14年)に中之島に開業。1895年(明治28年)に大阪ホテルと改名。自慢は電燈とスチーム暖房があって、英語を話す従業員がいたこと。1
ネオルネサンス様式の日本銀行大阪支店がこの地に建ったのは、1903年(明治36年)。これを設計したのは東京駅の設計で有名な建築家の辰野金吾。
ネオバロック様式の府立図書館がこの島にできたのは、1904年(明治37年)。住友家の寄付で建てられた。
1918年(大正7年)には、図書館の直ぐ後ろに中央公会堂が完成。これも寄付によってできた洋式建築。寄付したのは岩本栄之助(1877−1916)で、日露戦争(1904−1905)中に株で財を築いた人物。この寄付後間もなく、財産を失って自殺している。
中之島には、大阪の最新の市庁舎も1918年(大正7年)から1921年(大正10年)にかけて建てられた。
このような建築フィーバーは何年も続き、最近復活して、中之島は再び開発の渦中にある。最新の地下鉄道、京阪中之島線は2008年に開通するし、中之島や周辺一帯は建築ブームである。その一部を挙げれば、ショッピングモール、高層アパート、それに朝日新聞社とフェスティバルホールなどが入るツインタワーなど。2

脚注
1 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース、「大阪ホテル」。2008年4月7日検索。
2 朝日新聞。「大阪・中之島プロジェクト」。2008年4月7日検索。
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1930年代の大阪・中之島公園、オールド・フォト・ジャパン。2025年02月08日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/203/nakanoshima-park-jp)
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写真番号:70116-0007
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