東寺の弘法市は素晴しいが、この市へ行く人がこの東寺の五重塔を背景にした茶畑の長閑な風景を見たら、大いに驚くことだろう。茶畑はとうの昔に姿を消し、東寺の周りは賑やかな通りと近代的な建物に囲まれている。
この写真は1870年代に撮影されたものと思われるが、本堂である金堂の屋根が見え、その左側に天皇の安泰を祈願する儀式など特別の儀式が行なわれる灌頂院が見える。これら2つの建物の前には民家が並んでいるのが見える。1
京都駅に近い東寺は、真言宗の仏教寺院で、西寺と並んで京都の入り口である羅生門の両側にあった。この2つの寺は、都を悪霊から守護するために建てられたものだったが、残念ながら西寺は13世紀に火災で焼失し、再建されることがなかった。東寺も何度か火災に逢ったがその度に再建された。
東寺が建てられたのは都が京都に移ってから僅か2年後の796年のことだが、建設工事はスムースには進まなかった。823年に嵯峨天皇が僧侶で仏教学者でもあった弘法大師(空海)に命じて工事を完成させ、これによってその後真言宗は仏教界で独立した地位を確立することになった。従って、東寺が日本の仏教界で演じた役割は大きい。

弘法大師が826年に建てた仏塔は、落雷による火災で焼失した。その後も三度落雷で焼け、その都度再建されている。この写真の塔は1644年に徳川家光が建てたもので、現在もこの場所に建っている。高さは57メートルあり、日本で最も高い木造の塔。2
東寺を訪れるのは、弘法市の時が好い。実際には2回開かれ、毎月21日に開かれる市のほうが規模は大きく、食料品、草木、古着から骨董品まで何でも揃っている。毎月第一日曜日に開かれる市は骨董品が中心で、小規模。
塔は、弘法市の時には人ごみの雑踏を避けるには絶好の場所になる。鯉が数多くいる池のある、手入れの行き届いた庭園に囲まれ、リラックスして時を過ごすことができる。
東寺は1994年に他の16の寺院等と共に、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。

脚注
1 白幡洋三郎 (2004). 幕末・維新彩色の京都, 京都: 京都新聞出版センター, 86, 87. ISBN 4763805312
2 弘法市~東寺縁日, 東寺教王護国寺。2008年3月28日検索。
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1870年代の京都・茶畑と東寺の塔、オールド・フォト・ジャパン。2025年04月29日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/173/toji)
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写真番号:80115-0008
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