大阪の難波橋。この橋は旧淀川に架かっており、1915年完成。
難波橋は、当時も今も、街灯とライオンの石像で有名。中之島と中之島公園に向う、堂々たる石造りの階段がある。
大阪が19世紀末に都市としての近代化を始めた時に、優先順位の高かったのは、近代的な港の建設、淀川の改良、市街電車の導入、狭い大阪の街路の拡張、それに大阪に数多くあった橋の近代化。
鉄鋼が次第に手に入り易くなるにつれて、新しく訓練された日本の土木技師達は、日本の近代的な橋を造るのにこれを大いに利用した。特に難波橋は、この時期に架けられた橋として代表的なもの。
この橋は今もあり、日本で最も古い西洋式の橋の一つ。上部構造は今世紀?の初めに完全に取り替えられたが、最初のデザインは忠実に守られている。1

脚注
1 松村博(2004年)。Bridges: Highlights of Osaka’s Urbanscape / 橋が創る大阪の都市景観 (pdf). 大阪市都市工学情報センター、OSAKA and Its Technology, No. 45.
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1930年代の大阪・難波橋、オールド・フォト・ジャパン。2025年02月08日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/357/naniwabashi)
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