70222-0004 - Street Cars at Ginza, Tokyo

1910年代の東京
銀座

撮影者 撮影者未詳
発行元 発行元未詳
メディア 絵葉書
時代 大正
場所 東京
写真番号 70222-0004
注文 デジタルデータ
著者
翻訳者

現在の地下鉄新橋駅からそう遠くない場所から、北東に見た銀座の眺め。

1903年(明治36年)に初めて開通した市街電車が目の前に写っていて、更に後方にも何台か見える。塔のある建物の前の空いた場所は、新橋。この建物自体有名で、1899年(明治32年)にできた帝国博品館勧工場(現在の博品館)である。この建物の売り物は、現在のショッピングセンターに似て多彩な商店が入居していたこと。一般的に、日本の百貨店の起源だと考えられている。

1921年(大正10年)には、四階建ての近代的なビルができた。銀座で初めてエレベーターがついたビルで、大人気だった。またこの時日本語の百貨店という言葉が最初に使われた。漢字で書くと、百の宝と店ということになり、当時大きな話題になった。

英語のdepartment storeを片仮名でデパートメントストアと書くのは、当時既に使われていた。1910年代の写真には、博品館から数軒のビルを隔てた四階建ての近代的なビルの商店だった天下堂にこれが使われているのが写っている。この絵葉書では博品館の後ろに見える白いビルがそれ。

新橋から銀座を眺める、明治43年
新橋から銀座を眺める(東京名所写真帖 : Views of Tokyo、 尚美堂、明治43年)

1923年(大正12年)の関東大震災の後、博品館は百貨店ではなくなった。1978年(昭和53年)になって、この会社の創立80周年の折にこの場所に博品館トイパークという10階建ての建物が建った1。今この店は、東京のガイドブックが何時でもあって、大人気の店である。Lonely Planetでは、次のように紹介されている。2

この「トイパーク」の各階は、その年のキャラクターモデルの玩具、最新流行のビデオゲーム、色鮮やかなプラスチック製の玩具、これまでで一番ふんわりした玩具などで溢れている。博品館には子供向きのレストランや劇場まである。

1890年代の銀座のこの町角の眺めについて、もっと知りたければ「1890年代の東京 • 銀座と新橋」を見て欲しい。

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脚注

1 博品館。博品館の歩み。2008年10月8日検索。

2 Lonely Planet. Hakuhinkan Toy Park. 2021年8月1日検索。

公開:
編集:

引用文献

ドゥイツ・キエルト()1910年代の東京・銀座、オールド・フォト・ジャパン。2025年01月25日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/597/ginza-jp)

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写真番号:70222-0004

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