現在の地下鉄新橋駅からそう遠くない場所から、北東に見た銀座の眺め。
1903年(明治36年)に初めて開通した市街電車が目の前に写っていて、更に後方にも何台か見える。塔のある建物の前の空いた場所は、新橋。この建物自体有名で、1899年(明治32年)にできた帝国博品館勧工場(現在の博品館)である。この建物の売り物は、現在のショッピングセンターに似て多彩な商店が入居していたこと。一般的に、日本の百貨店の起源だと考えられている。
1921年(大正10年)には、四階建ての近代的なビルができた。銀座で初めてエレベーターがついたビルで、大人気だった。またこの時日本語の百貨店という言葉が最初に使われた。漢字で書くと、百の宝と店ということになり、当時大きな話題になった。
英語のdepartment storeを片仮名でデパートメントストアと書くのは、当時既に使われていた。1910年代の写真には、博品館から数軒のビルを隔てた四階建ての近代的なビルの商店だった天下堂にこれが使われているのが写っている。この絵葉書では博品館の後ろに見える白いビルがそれ。
1923年(大正12年)の関東大震災の後、博品館は百貨店ではなくなった。1978年(昭和53年)になって、この会社の創立80周年の折にこの場所に博品館トイパークという10階建ての建物が建った1。今この店は、東京のガイドブックが何時でもあって、大人気の店である。Lonely Planetでは、次のように紹介されている。2
1890年代の銀座のこの町角の眺めについて、もっと知りたければ「1890年代の東京 • 銀座と新橋」を見て欲しい。
脚注
1 博品館。博品館の歩み。2008年10月8日検索。
2 Lonely Planet. Hakuhinkan Toy Park. 2021年8月1日検索。
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1910年代の東京・銀座、オールド・フォト・ジャパン。2025年01月25日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/597/ginza-jp)
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写真番号:70222-0004
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