これは1907年頃の絵葉書で1、大浦下がり松にあった二つの重要な建物が写っている。白い大きなビルは香港上海銀行の長崎支店で、右側の褐色のビルは長崎ホテル。
当時この二つの建物は長崎港の直ぐ傍で、出島からは少し歩けば行ける距離にあった。
現在はHSBCの名で知られている香港上海銀行だが、香港で設立されたのは1865年3月で、中国とヨーロッパの間の交易が増えるのに対して資金を提供するためだった。日本で最初に支店を開いたのは1866年で2、この写真のビルは1905年に開業し、設計は日本の建築家下田菊太郎(1866~1931)だった。ビルは現存しているが、下田の設計した建築で残っているのはこれしかない。
このビルは三階建てで、曲線の多いアーチとアーケードのあるシカゴ様式の窓が特徴的である。コリント式の円柱が二階と三階を囲んでいる。ビルのトップはぺディメントで飾られている。
この銀行は1931年に閉店し、1940年に長崎県が建物を買取った。最初は長崎県の警察本部として使われ、その後歴史・民俗資料図書館に改装された。その後再度内容が変わり、1996年10月に記念館として再開した。現在は国の重要文化財で、一階には銀行時代のインテリアを展示し、他の階には歴史展示と喫茶室がある。3
長崎ホテルが建ったのは1898年のことで、極東で最高の洋式ホテルの一つとされていた。1904年から1905年の日露戦争で、長崎への旅行者が制限されるまでこのホテルは繁昌していた。この制限はホテルの経営体質を弱めたようで、1920年代初めの経済不況を生き延びることができなかった。1924年には完全に廃業して、その後間もなく建物は取り壊された。4
脚注
1 この絵葉書で1907年7月の消印のあるものを見たことがある。それによって、この写真を撮ったのはその年、1906年、或いは1905年の香港上海銀行開設の直後と見られる。
2 ウィキペディア。香港上海銀行。2008年7月29日検索。
3 長崎県観光情報システム。Hong Kong Shanghai Bank Building. 2008年7月29日検索。
4 Nagasaki Foreign Settlement Research Group. Nagasaki Hotel. 2008年7月29日検索。
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1900年代の長崎・海岸通の建物、オールド・フォト・ジャパン。2025年01月25日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/547/kaigandori-no-tatemono)
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写真番号:70222-0026
Yuhei Matsuo
はじめまして
このサイトにある長崎ホテルのイラストは初めて見ました。
この資料はどの様なものなのでしょうか。
今、長崎ホテルの図面を作っているところです。
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ドゥイツ・キエルト (著者)
イラストは1903年版に掲載されているベイジル・ホール・チェンバレンとW.B. メイソンの「A Handbook for Travellers in Japan」の広告です。
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