70302-0010 - Japanese School Girls Eating Bento in the Classroom, 1930s

1935年代の岡山
女学校の弁当の時間

女学生達が教室で弁当を開いている。

女学生達は同じ髪型で、黒っぽい洋風の学生服を着ている。この制服は長いスカートとボタンで留める上着である。建物は木造のように見えるが、これは1950年代になって一斉にコンクリートのビルに取って代られるまで、日本中で共通の現象だった。

2008年の高校でのお昼
2008年の高校でのお昼

明治時代(1868~1912)、日本に新しい教育制度が導入された。1871年(明治4年)には文部省が設けられ、それに続いて1872年(明治5年)には学制が施行された。8年間の初等教育を行なう普通初等教育が始まり、日本の女性は初めて初等教育を受けることが普通に許されるようになり、政府は両親が娘達を学校に通わせることを奨励した。

教育が確実に全国に行き渡るようにするため、全国を8大学区に分け、更に大学区を32中学区に分け、中学区毎に210小学区を設けた。生徒達は月曜日から土曜日まで毎日5時間通学し、カリキュラムは14教科以上あった。その中には、読み方、書き方、語彙、綴り、歴史、地理、体育、図画、音楽や修身などがあった。

普通教育の進展に合せて、女性の役割についての新たな考えが広がり、福沢諭吉(1835~1901)、中村正直(1832~1891)や森有礼(1847~1889)などの教育者が男女の平等を推進し始めた。

高等女学校という言葉は、1891年に1886年の中学校令を改定した際に初めて導入された。これによって通常の男子中学校に相当する女子の教育制度が作られた。1895年には教育期間を4年間の基礎教科と定め、志望者は4年間の初等普通教育を修了しなければならなかった。1

このような奨励策にも関わらず、古い思考は容易に変わらなかった。1873年から1878年の間に、男子の入学率は19.9%から57.6%に上ったが、女子の場合は15.1%から23.5%に上ったに過ぎない。2 次の表を見れば、それから30年経っても所謂高等小学校への女子の入学者数は男子を遥かに下回っていたことがわかる。3

年度 男子 女子
1899 614,542 178,689
1900 664,417 206,778
1901 709,506 234,392
1903 748,048 295,930
1905 851,162 380,732
1907 923,979 459,630

20世紀の前半、初等教育段階での日本の教育は平等でますます普及していたが、高等教育になると極めてエリート志向だった。女子大もあり、また極めて限られた学生数とはいえ女子の入学を認める帝国大学は3校あったが、女性が高等教育を受ける機会は少なかった。

その限られた機会を提供したのは、私立の学校とキリスト教会が設立した大学だった。1930年には、女子専門学校(三年制の職業学校)46校中37校が私立だった。キリスト教系の学校の中で特に重要だったのは、日本女子大学校(1901)、東京女子大学(1918)と自由学園(1921)で、教育面では当時支配的だった良妻賢母のイデオロギーの代わりに自由と個性を強調した。4

「Nationalisms of Japan: Managing and Mystifying Identity」の著者マクヴェイは、その中で戦前の教育での男女の差について優れた考察を行なっている。5

明治の末から終戦までの高等教育の目的とは何だったのか? 男子の場合は極めてはっきりしていた。近代化する社会の政治経済制度の中で働く専門家の育成である。しかし女子の場合は全く異なる目的があった。知的で精神的な教育というよりは、女性向けに特化した「道徳教育」とも言えるものだった。

良妻賢母という道徳観を学生の間に醸成するために、多くの女子専門学校の教育文化では作法による道徳教育を奨励した。内的な自己抑制、従順さ、忍耐、それに将来果たすべき役割のための躾を、着衣と寮生活での厳しい規則を通じて育んだ。茶の湯、活け花などの課外活動も、同じ目的のために行なわれた。

当初、日本の教育思想は西欧の教育の影響が強かった。しかし、1890年代になると、儒教に基づいた保守的で伝統的な価値観が復活を遂げ、その結果として1890年に教育勅語が公布された。国家主義、軍国主義、それを支える天皇への忠誠心を浸透させるのにこの勅語が果たした役割は大きかった。これらの思想は第二次大戦が終わった1945年まで存続した。

関連画像

1935年代の岡山 • 女学校の弁当の時間
1935年代の岡山 • 女学校の教室風景
1935年代の岡山 • 読書する女学生達
1935年代の岡山 • 女学校の薙刀の練習
1935年代の岡山 • 女学校の薙刀の練習
1935年代の岡山 • 女学生の弓道の練習
1935年代の岡山 • 女学校の卓球の練習
1935年代の岡山 • 「とうりゃんせ」の遊び

脚注

1 文部科学省。The Promulgation of the Girls’ High School Order: a. The Issuance of the 1895 Girls’ High School Regulations. 2008年7月27日検索。

2 Chan Lei Lei (2008). Women in Japan and Hong Kong. The University of Hong Kong.

3 文部科学省。The Promulgation of the 1886, 1890 and 1900 Elementary School Orders: d. The 1900 Elementary School Order. 2008年7月27日検索。

4 McVeigh, Brian J. (2003). Nationalisms of Japan: Managing and Mystifying Identity. Rowman & Littlefield, 228-229.

5 同書、230。

6 日本の近代教育制度の詳細については、文部科学省ホームページの「白書」を見られたい。

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引用文献

ドゥイツ・キエルト()1935年代の岡山・女学校の弁当の時間、オールド・フォト・ジャパン。2022年09月25日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/521/joshigakko-bento-no-jikan)

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