70820-0006 - View on Oura, Nagasaki, 1880s

1890年代の長崎
外国人居留地

撮影者 江南信國
発行元 江南信國
メディア 鶏卵紙
時代 明治
場所 長崎
写真番号 70820-0006
注文 デジタルデータ
著者
翻訳者

南山手から見た長崎港、大浦と東山手の外国人居留地の眺め。

右手に見えるベランダのある建物は、ベルビューホテルで、現在長崎全日空ホテルグラバーヒルが建っている場所にあった。ベルビューホテルは1863年に開業した日本初の西洋スタイルホテルの一つ。外国人客がよく泊まった。

このホテルは南山手11番地Aにあって、建てたのはイギリス領事館の警官だったマシュー・グリーンである。持ち主は妻のマリー・エリザベスだった。最初この建物はイギリス領事館の仮事務所だった。マリー・エリザベスは1863年10月に、イタリア人のC.N.マンシニの協力でこのホテルの経営を始めた。マンシニはその後1865年にホテルを辞めて菓子職人になっている。

ホテルができてから僅か四年後の1867年に、N.B.デニスが「The Treaty Ports of China and Japan」の中でベルビューホテルのことを、「客が頻繁に訪れる、経営の上手なホテルで、定食は1ドルで食べられる。また、一週間滞在する場合の料金は、全てを含めて21ドル。港と市街地の眺めが大変好い。」と紹介している。

1898年に長崎ホテルが海岸通に建つまでは、ベルビューホテルは長崎で最も大きく、最も豪華なホテルだった。

1910年代のベルビューホテルのラゲッジラベル
1910年代のベルビューホテルのラゲッジラベル(ホテル玄関)

マリー・エリザベスはその後横浜に移り、最後は神戸に移ったが彼女の墓は今でも神戸の外人墓地にある。ベルビューホテルは何度か売却、閉鎖、再開を繰り返した。驚くべきことに、元従業員のC.N.マンシニが1870年代の後半には持ち主の一人だった。

1906年に実業家の西崎がこのホテルを買い取って1920年代初めに遂に閉鎖するまで経営していた。これは、長崎の外国人居留地の時代が遂に終わったことの象徴でもあった。1

この写真では、ホテル以外にも長崎の外国人居留地の様子がよくわかる。港に沿った通りは大浦海岸通である。港が初めて開港した時にここに建てられた小さな洋館は、この写真では既にベランダ付き、屋根が四方に傾斜している寄せ棟式の屋根の二階建ての建物に替わっている。この海岸通には領事館が多くあり、重要な通りになっていた。

埠頭から突出している大きな平屋建ての建物は、税関である。出島の一部もその向こうに見える。

ベルビューホテルの遥か後ろの丘の上にある建物は、活水学院のラッセル館である。1876年にアメリカのメソディスト宣教師エリザベス・ラッセル(1836~1927)とジーン・ギアーが設立した学校で、この写真に写っている建物が正式に完成したのは1882年5月だった。この学校が長崎で演じた役割は大きく、1899年に外国人居留地が閉鎖された後も続いた。2

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脚注

1 Nagasaki Foreign Settlement Research Group. Minamiyamate Articles: Belle Vue Hotel. 2008年6月3日検索。

2 Nagasaki Foreign Settlement Research Group. Higashiyamate Biographies: Elizabeth Russell. 2008年6月3日検索。

公開:
編集:

引用文献

ドゥイツ・キエルト()1890年代の長崎・外国人居留地、オールド・フォト・ジャパン。2024年07月14日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/380/gaigokujin_kyoryuchi)

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写真番号:70820-0006

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南山手

長崎港と長崎の外国人居留地の南端が写っている。大浦にある居留地の主な部分は、右側の丘の向こうにある。

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