大阪の四天王寺付近の全景。四天王寺の五重塔が遥か左側に見える。当時は重要な目印の役割も果たしていたことがわかって、興味深い。
今では寺院は周囲の高層建築に囲まれて、事実上見えない。想像もつかないが、前面の田園地帯は現在の日本橋でんでんタウンである。

この辺りは江戸時代(1603~1868)には宿場で、長町と言われていた。近くの道頓堀に架かっていた橋の名前から、その後日本橋に名が変わった。
20世紀の初め、この辺りには古本屋ができた。第二次大戦後になると、民生電子機器の店がここに集まり、現在ではでんでんタウンと呼ばれている。
1990年代後半から、漫画、アニメやキャラクターグッズ類を売る店が電器店に取って代り、東京の秋葉原のようなポップカルチュアの中心になっている。

撮影者の目の高さから判断すると、この写真はミナミにあった五階建ての眺望閣から撮ったことは、殆ど確実である。この塔は「南の五階」という呼び名で知られており、最上階には展望台があって、大阪の素晴しい眺めが楽しめた。
この木造の塔は、富士山に似せて設計され1888年(明治21年)に完成した。1888年(明治21年)と1889年(明治22年)には、眺望閣は大阪で一番人気の高いレジャー施設の一つだった。これに刺激されてできたのが新世界の通天閣で、難波はミナミの中心になった。1

脚注
1 昔の大阪。大阪の遊び場。2008年5月16日検索。
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1880年代の大阪・天王寺の眺め、オールド・フォト・ジャパン。2025年05月21日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/378/tennoji-no-nagame)
ライセンス可能
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写真番号:71205-0005
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