人力車が2台、兵庫県庁の前に停まっている。
兵庫港は日本で最初に西洋との貿易のために開港した港の一つで、直ぐに洋風のものなら全て取り入れた。この県庁舎をフランスルネサンス様式で設計したのは建築家山口半六(1858−1900)で、完成したのは1902年(明治35年)。この絵葉書は1907年(明治40年)から1918年(大正7年)の間に撮影したもの。

兵庫県庁が建てられたこの場所には、大資産家として知られていた前オランダ領事コータルスの住まいがあった。ジャパン・クロニクル紙の創業者で編集人でもあったロバート・ヤングは、同紙の1918年創刊記念号に、コータルスが昔の自分の家を訪ねて懐かしがった様子を伝えている。
「以前から居留地には多くの建物があり、外国人は丘の上にバンガローを建て始めた。最も早く建てられたものの一つは、オランダの貿易会社のトップでオランダ領事でもあったコータルスが建てたもので、現在県庁のある場所にバンガローを建て、隣接して広大な庭を造った。現在その庭は下山手通りが通っている。」
「後年、バンガローと土地は日本人の手に渡り、建物は商業博物館になった。現在の県庁舎はその後この敷地内に建てられた。」
「何年か後で、コータルスは旅行で日本を訪れ、彼と夫人が藪に植えてその時未だ県庁敷地に保存されていた薔薇の花を幾つか摘む許しを得て、摘み取った。」1
第二次世界大戦のアメリカ軍による集中焼夷弾爆撃で、建物の外壁だけが残ったが、終戦後には再建されて昔の栄光を取り戻した。現在は兵庫県公館という名前で、集会や会議、卒業式やVIPの歓迎に利用している。

脚注
1 Young, Robert (1918). Japan Chronicle: Jubilee Number 1868-1918.
公開:
編集:
引用文献
ドゥイツ・キエルト()1920年代の神戸・兵庫県庁、オールド・フォト・ジャパン。2025年02月08日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/201/hyogo-kencho-jp)
ライセンス可能
この写真はライセンスも可能です。ストックフォト(写真素材)を専門とするエージェンシーMeijiShowa(明治昭和)では、 明治、大正、昭和初期にかけてのアーカイブ写真・イラスト・ならびに古地図を、 エディトリアル・広告・パッケージデザインなどのライセンスとして販売しております。
写真番号:71203-0004
この記事のコメントはまだありません。