80115-0014 - Japanese Vegetable Store, 1890s

1890年代
八百屋

撮影者 撮影者未詳
発行元 発行元未詳
メディア 鶏卵紙
時代 明治
場所 屋外
写真番号 80115-0014
注文 デジタルデータ
著者
翻訳者

八百屋の主人が非常に大きな蕪を手にしている。林檎が大量に並んでいるところを見ると、林檎専門に扱っているように見える。

牛蒡、大根、芥子菜、葱も主人の前に並んでいる。軒先のパネルは、売り物を日差しから守るため考え出したもの。

明治時代の日本の食事は、米、特に漬物など少しの野菜類、魚と豆類で、田舎では米が高価だったので、代わりに大麦や粟などの安価な雑穀を食べることが多かった。

牛肉、豚肉、パンなどは明治時代に入ってきたもので、最初はある程度人気があった。バジル・ホール・チェンバレンが1890年に書いているように、屋台には「人力車夫や日雇い労働者」が食べるパンが積み上げてあった。

しかしこの人気はそう永続きせず、20世紀初頭には昔からの日本の食習慣に戻った人々が多かった。これら西洋からの輸入品が最終的に受け入れられるまでには何年もかかっている。

肉は仏教の影響もあって、表向きには日本の食事には見られなかった。鹿の肉は田舎では「山鯨」と称して手に入った。魚は認められており、鯨は魚と見られていたので、鹿肉を鯨肉と称して食べることは問題がなかった。

今でこそ日本食は世界中で大変人気があるが、明治時代に日本に来た外国人はそれほど感心しなかった。1

J日本の料理はヨーロッパ人の食欲を充たすものではない。肉がなく、牛乳、パン、バター、ジャム、コーヒーがなく、サラダも充分な量の煮野菜もなく、煮た果物もなく、新鮮な果物も比較的少ない状況を想像して見るが好い。ヨーロッパの菜食主義者も、これで何とかするのは普通に肉を食べる人と殆ど変わらず難しいだろう。もしジョンソン博士がこんな夕食会に加わっていたら、満足感のない満腹感、栄養のない満腹感などと評したに違いない。食べるものは清潔で、見事なほど油気がなく、見た目に美しいことが多い。しかし、これで生活しようと試みるとよい。答えは否である。

脚注

1 Chamberlain, Basil Hall (1905). Things Japanese Being Notes on Various Subjects Connected with Japan for the Use of Travellers and Others. J. Murray: 180.

公開:
編集:

引用文献

ドゥイツ・キエルト()1890年代・八百屋、オールド・フォト・ジャパン。2025年01月25日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/349/yaoya)

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写真番号:80115-0014

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1890年代
お客のお出迎え

旅館の従業員達が玄関で泊り客を出迎えている。このように床に座って深々とお辞儀をする光景は、今でも日本中の旅館で見られる。

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1890年代
鮮魚店

鮮魚店の店頭で休憩している2人の若い店員。魚は日本人にとって大切な食品で、店頭だけでなく「振り売り」と呼ばれる行商人があり、天秤棒にぶら下げた桶に魚を入れて担ぎ、売り歩いた。

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この野菜売りは、笠を被り蓑を着けている。

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