横浜駅は、1872年(明治5年)6月12日に開通した日本最初の鉄道の終着駅。
当時は乗客と貨物を運んだのは品川までだったが、10月には新橋まで延長されて、港町横浜は東京都心と結ばれた。この新しい鉄道によって、両都市間の旅行時間が大幅に短くなった。徒歩では10時間から12時間、馬の場合早駆けでも4時間かかったものが、汽車なら僅か53分だった。これが横浜、特に駅に近い野毛の発展に大きく貢献した。
横浜駅の浮世絵
横浜駅を設計したのは、1864年(元治元年)にサンフランシスコから日本に来たアメリカ人建築家のリチャード・ブリジェンス。建築家として横浜と東京で活躍したブリジェンスが、この両都市の西洋建築に与えた影響は、強調しても強調し過ぎることはない。横浜駅と、対になる東京駅以外にも、明治時代に大きな役割を演じた建物の多くは彼の設計。
特に目を惹いたのは、築地ホテル館(1868~1872)で、西洋建築と日本建築のユニークな組合せ。他にもブリジェンスの設計としてよく知られているのは、港近くの魅力的な3階建てレンガ造りの横浜税関(1873~1910?)、それに横浜町会所(1874~1906)がある。また最初の横浜グランドホテルを建てたと信じられている。
ブリジェンスは1891年(明治24年)に亡くなった。墓は今でも横浜外国人墓地にある。
新しく鉄道が開通したことは、海外でも関心を呼んだ。ニューヨーク・タイムスは、6月の開通後に短く、次いで明治天皇が新橋と横浜を往復した1872年(明治5年)10月14日の公式開通式の際と、二度まで報じている。
この記事は、開通式の様子を丁寧に再現しており、また将来を楽観し希望を持っている点で注目に値する。
目につくのは、この記者が東京のことを依然江戸と書いていること。日本では、江戸は1868年(明治元年)に東京と改名されて以来使われなくなっていた。しかし、海外の出版物では、20世紀に入っても執拗に使われていた。
もう一つ注意を惹くのは、この記者が「日本で最初に客車を牽く蒸気機関車」と書いていること。これは単に興奮していたのか、ジャーナリストに許される誇張表現だったのかの何れかだろう。この鉄道は、正式開通した時には既に4ヶ月以上運行していた。
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脚注
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1900年代の横浜・横浜駅、オールド・フォト・ジャパン。2025年01月25日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/327/yokohama-eki)
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