71203-0014 - Tobita red light district, Osaka, 1920s

1920年代の大阪
飛田遊郭

撮影者 撮影者未詳
発行元 発行元未詳
メディア 絵葉書
時代 大正
場所 大阪
写真番号 71203-0014
注文 デジタルデータ
著者
翻訳者

これは、大阪の飛田遊郭を写した20世紀初頭(大正初期)の絵葉書。

説明には「絃歌の日夜絶えざる大阪の飛田遊郭」とある。しかし此処で働く女性にとっては、そのような魅力のある場所ではなかった。

飛田遊廓は、難波新地遊郭が全焼した後、1916年(大正5年)に築かれた公許の遊廓。貧窮した農家の娘達や、夫の虐待に耐えかねた妻が集まった。1918年(大正7年)には既に100軒を数える妓楼が並んでおり、その数は昭和初期(1925-1989)には200軒に達していた。1

1930年代(昭和初期)以後の軍国主義体制下では、芸術家、音楽家、反戦主義者や反軍国主義者の隠れ家となった。

第二次世界大戦後は、大阪最大の遊郭となり娼婦の数は数千人を数えた。この頃元アメリカ大統領夫人エリノア・ルーズベルトがオープンカーで視察し、娼婦達の健康状況について尋ねたと言われる。2

飛田は悪名高い阿部定(1905~?)が1930年代に娼婦として働き始めた場所。阿部定は1933年には大阪を離れて東京へ移ったが、既によく問題を起こす女として知られていた。

阿部定は1936年5月18日に東京都荒川区尾久で愛人の石田吉蔵を色仕掛けで窒息死させ、その性器を切り落としてハンドバッグに入れて持ち歩いた。

この殺人事件は「5・18事件」と呼ばれ、日本ではパニックを惹き起こした。以来、この事件は書物や映画で繰り返し取り上げられ、精神科医や哲学者も色々な解釈を下している。3

飛田は、1958年(昭和33年)の売春防止法施行以後も今日まで生き残った。残っている80軒から90軒の遊郭は、この写真の雰囲気を若干伝えている。阪堺電気軌道阪堺線今池駅に近く、日本に現存する最後の昔からの遊郭である。関西には売春が公然と行なわれているのは9箇所あるが、ここはその一つ。

脚注

1 Architectural Map, 鯛よし百番と飛田新地

2 Johnston, Eric, Appetite for seduction: Love town where time stands still

3 ウィキペディア, 阿部定。2008年1月2日検索

公開:
編集:

引用文献

ドゥイツ・キエルト()1920年代の大阪・飛田遊郭、オールド・フォト・ジャパン。2022年06月27日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/75/tobita-yukaku)

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写真番号:71203-0014

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