70510-0002 - Shimabara Tayu, 1920s

1920年代の京都
島原太夫

撮影者 撮影者未詳
発行元 青旭堂
メディア 絵葉書
時代 大正,昭和
場所 京都
写真番号 70510-0002
注文 デジタルデータ
著者
翻訳者

京都島原の太夫(高級娼婦)の写真。島原は京都で認められていた遊郭。太夫が着る豪華な衣装は、江戸時代(1603年~1868年)に益々派手になった。

太夫は、舞妓や芸者とは髪型で区別される。この髪形は兵庫と呼ばれ、結うのに何時間もかかる。

前髪は大きな鼈甲と八つの笄で飾る。後ろ髪には六つの前びら、留めと花飾りを差す。重さは全部で3キロにもなる。

太夫の履物は髪型と同様に豪華で、高い黒漆の下駄を履く。普通の下駄の歯は二本だが、太夫が街を歩く時に履く下駄は三本歯である。歩く早さは信じられないくらいゆっくりしたもので、よちよち歩きである。大勢の付き添いに囲まれ、大変な注視の的になる。(吉原道中のプリント参照)

71206-0001 - 東京神吉原の花魁道中のイラスト
昭和2年(1927年)東京神吉原の花魁道中のイラスト

現役の太夫はかなり前に姿を消したが、島原には太夫の文化を活かして継承している女性が4人いる。その一人が司太夫で、島原文化の再生に努めている。

売春は日本では江戸時代(1603年~1868年)に広がった。これを統制するために、徳川幕府は特定の地区を指定した(傾城町)。 中でも有名なのは、江戸の吉原(1617年にできた)1、大阪の新町(1624年から1644年にできた)2、 と京都の島原(1640年にできた)3

島原は1958年(昭和33年)に新しく法律が施行されて売春が禁止されるまで続いた。残っているのは殆どない。大門は今でも見られるし、昔の島原のお茶屋で元禄年間(1688年~1704年)にできた輪違屋は、太夫文化を紹介する博物館になっており、文化遺産になっている。もう一軒残っているお茶屋は角屋。

脚注

1 De Becker, J. E. (1899). The Nightless City or the History of the Yoshiwara Yukwaku. Max Nössler & Co.

2 Avery, Anne Louise (2006). Flowers of the Floating World: Geisha and Courtesans in Japanese Prints and Photographs, 1772–1926 (Sanders of Oxford Exhibition Catalogue)

3 京都島原の門にある市の公式看板

公開:
編集:

引用文献

ドゥイツ・キエルト()1920年代の京都・島原太夫、オールド・フォト・ジャパン。2022年09月25日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/175/shimabara-tayu-jp)

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写真番号:70510-0002

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1910年代
髪を梳く女性

着物姿の若い女性が、手鏡を見ながら自分の髪を梳いている。

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1935年代の岡山
女学校の教室風景

女学校の教室風景。

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1890年代の長崎
丸山遊廓

この写真に印刷されている「茶屋」というのは、罪のない人を惑わすタイトル。実際に写っているのは、長崎の遊女屋で、提灯を吊るしているのが金波楼、その隣にあるのが玉島亭。

コメント

はじめまして、検索にてたどりつきました。
京都の島原(嶋原)の文化を太夫さんを支持・応援
しているものです。

太夫さんは、売春婦という言葉では表現できませんし、
単なる芸妓というわけでもなく、とても特異な存在だった
ようです。特に京嶋原は公卿の遊び相手の女性と
しての傾城・太夫であり、独特の文化が生まれ、
他の京の花街のお手本ともなっていたようです。

上の記事の文章に少し誤りがあると思うのですが・・
輪違屋さんは、現在も現役の「お茶屋」として営業中です。
太夫の置屋でもあり、太夫をお座敷に上げて、芸を見せるのは
今ではこちらのお店だけです。
芸を見せるため現在でも太夫さん
(今では3人になりましたが)方は
舞・茶道を必須として
和楽器・唄・書道・香道 といった芸教養、
お客さんへの接客 を日々磨いておられます。

また、「角屋」さんは現在は美術館として
かつての嶋原文化の紹介・普及を行っておられます。

今後もこのような嶋原の文化が大切に受け継がれていくことを
望んでいる者です。

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二枚目の写真は吉原のものだと思われます
訂正をお願いします

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