長崎の銭屋川(現在の中島川)から見た美しくロマンチックな阿弥陀橋。
明治5年(1872年)に撮影されたもので、橋の手前には井戸がある。水桶も見えるが人の姿はない。これは恐らくこの写真家の露出時間が長かったためと思われる。奥に見えるのは高麗橋で、川床全体に散らばっている石や堤防が、長崎の市街地の中に荒々しい川があるとのイメージを与えている。
この優美な石橋は、長崎の伊勢町と八幡町をつなぐために長崎の貿易商人園山善爾が私財を投じて1690年(元禄3年)に架けたもので、長さは13.4メートル、幅は4.5メートル。
面白いことに、長崎にある橋には名前がなく、上流にある阿弥陀橋を第一橋として順に番号が付けられていた。日常的には、住民が橋のある近辺の名前で呼んでいたので、当然のことながら混乱が生じ、医師で間学者の西道仙が橋毎に名前を付けた。
その時阿弥陀橋は、橋の右側に阿弥陀堂があったことから名付けられた。また高麗橋は、橋が新高麗町(後の伊勢町)にあったことから名付けられた。
阿弥陀橋は極楽橋とも呼ばれた。江戸時代、死刑囚は西坂にある刑場へこの橋を渡って護送された。極楽橋の名は、死刑囚が極楽へ行けるよう願ったことから付けられたようだ。
当時の川の名前は中島川しかなかったが、実際には流域によって色々な異なる名前があった。鳴滝川との合流点までは、一の瀬川、ここから堂門川と合流するまでは、二の瀬川で、長崎港に達するまでには更に名前を変え、大川と呼ばれた。
銭屋川の名は、1660年から1684年まで新大工町にあった貨幣の鋳造場(銭屋)から取られた。1
阿弥陀橋は長崎を撮った写真にはよく写っているが、これは写真家から見て大変魅力がありロマンチックな橋だったことと、上野彦馬 (1838-1904)の家とスタジオが橋の傍にあったことによる。事実この撮影場所から歩いて直ぐ近くの銭屋川の土手にあった。
上野彦馬が日本の写真史上に演じた役割は、非常に大きい。最初長崎の蘭学医学校だった医学伝習所でヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールト (1829 – 1908)に学んだ。この伝習所は1857年に創設されたもので、上野彦馬は翌年にここで化学と写真術を学び、1859年か1860年頃にフランスの写真家ピエール・ロシエの湿板写真術に接した。
1860年、上野彦馬は津藩主の藤堂家からカメラ購入の資金援助を受けて、同藩出身の堀江鍬次郎と共に江戸の藤堂屋敷でそのカメラで実験を行なっている。
1862年には長崎に戻り、銭屋川沿いに写真スタジオを開き40年以上大成功を収めて名声を得た。2
上野彦馬の写真が1873年のウィーン万国博覧会で展示されると、長崎エクスプレス紙は、「中島の芸術家で無名とは言えない上野彦馬の撮った長崎と近郊の村々の写真は、彼の才能を代表するものとして多くの外国からの観客が持ち帰った。」と報じている。3
彼の撮影した明治維新の重要人物は、坂本龍馬 (1836-1867), 勝海舟 (1823-1899)、高杉晋作 (1839-1867)など数多い。
2000年には九州工業大学の写真コンテストに「上野彦馬賞」が設けられている。
残念なことに、この阿弥陀橋と銭屋川の美しい眺めは完全に姿を消している。多くの日本の川同様、中島川も大部分が醜いコンクリートで覆われている。1982年には、阿弥陀橋そのものが、長崎大水害の後コンクリートの橋に架け替えられた。

脚注
1 日本古写真超高精細画像データベース、「中島川周辺」の古地図 ( 享和2年 )。2008年2月15日検索
2 Bennett, Terry (2006). Old Japanese Photographs: Collectors’ Data Guide. Bernard Quaritch Ltd, 293. ISBN 0-9550852-4-1
3 Bennett, Terry (2006). Photography in Japan: 1853-1912. Tuttle Publishing, 75. ISBN 0-8048-3633-7
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1870年代の長崎・阿弥陀橋、オールド・フォト・ジャパン。2025年02月08日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/93/amidabashi_jp)
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写真番号:70523-0009
高橋信一
この長崎の写真は明治6年に内田九一が撮影したものです。国際日本文化研究センター所蔵の内田写真館のアルバムYA033に他の九一の写真といっしょに入っています。
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ドゥイツ・キエルト (著者)
高橋様
「OLD PHOTOS OF JAPAN」のドゥイツです。ご案内誠にありがとうございます。
高橋様の情報を追加致しました。
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ドゥイツ・キエルト (著者)
高橋様
明治5年(1872年)、明治天皇の西国御巡幸の際、宮内省御用掛の写真師第一号として随行し、内田九一は長崎を訪れたので、日付を1872年に変更しました。
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