80121-0013 - s.s. Malolo and other Steamers and Liners in Yokohama Harbor, Japan, October 1929

1929年の横浜
港内に停泊している船

横浜港に停泊している船の風景。この写真は、1929年(昭和4年)10月に横浜に寄港したマオロ号から撮影したもの。

横浜は、この年までに1923年の関東大震災で受けた壊滅的な打撃から殆ど完全に回復したものと見られており、この年は重要な年だった。震災で横浜が蒙った被害は、倒壊した家屋が6万戸、死者は2万人に達し、横浜は文字通り姿を消したのである。復興に当たって、港を全面的に改良して近代的なものとした。ここに写っている多くの船は、横浜がゼロから立ち上がって僅か6年間で見事な復興を遂げたことを問わず語りに語っている。

東京湾の西側に位置している横浜は、1859年の開港以来急速に繁栄して来た。小さな漁村だったものが、1889年には人口121,985人の都市に成長したのである。震災当時の人口は446,000人だったが、記録によると震災の翌年の人口は389,700人に減っている。しかしこの写真が撮影された時には、震災前の水準を回復して、543,900人になっていた。1

横浜は第二次世界大戦では再度破壊されたが、信じられないような復興を遂げて、現在の人口は300万人を遥かに超え、日本第二の大都会で人口密度は日本最大である。横浜の経済規模は巨大で、石油精製、化学工業、製鋼所、繊維、第一次金属、造船、自動車、機械、それに運送機器や電気機器などの工場がある。

このスライドは、ニューヨーク州教育局が、生徒に日本のことを教えるために作成した、一連の日本のスライドの中の一枚。

脚注

1 横浜市「横浜市 人口のあゆみ 2000」―人口、世帯数、面積の推移。2008年10月22日検索

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引用文献

ドゥイツ・キエルト()1929年の横浜・港内に停泊している船、オールド・フォト・ジャパン。2024年04月18日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/614/minato-fune)

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写真番号:80121-0013

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