70209-0029 - Steam Train Arriving at Osaka Station, 1930s

1930年代の大阪
大阪駅

撮影者 撮影者未詳
発行元 Taisho Hato
メディア 絵葉書
時代 昭和
場所 大阪
写真番号 70209-0029
注文 デジタルデータ
著者
翻訳者

1930年代の大阪駅で高架のプラットフォームに入って来る蒸気機関車。

大阪駅は元来木造の建物だったが、1901年(明治34年)に石造りになった。現在の大阪駅と比べると、プラットフォームはやや閑散としている。とはいえ、鉄道旅行に大変人気が出て、普通のものになったのは日本政府が大いに努力したことが大きい。この写真が撮影された頃には、日本の鉄道は利用者の多さと路線網が進んでいることで世界有数になっていた。

大阪駅が大阪の玄関になったのは、明治時代(1868~1912)に遡る。大阪と神戸間の鉄道について調査が始まったのは1870年(明治3年)8月25日のこと。この二つの都市を結ぶ鉄道が、日本で二番目の路線として開業したのは、1874年(明治7年)5月11日だった。1876年(明治9年)には路線は京都まで伸び、1880年(明治13年)には大津に達した。1 1889年(明治22年)になると、神戸と東京の新橋駅間の旅行ができるようになった。これらが全て日本が封建時代から脱却しつつある時期に行なわれたことは、重要である。

日本の鉄道システムを創り上げる初期の仕事は、日本政府が雇った300人以上の外国人によるものが殆どで、その多くはイギリス人だった。彼等は、重役、技師、主任機関手、運行管理者、機械工、運転手、線路の保守工夫、大工、左官、石工、などだった。

日本で鉄道工事のために初めて外国人を雇ったのは、1870年(明治3年)のこと。1874年(明治7年)になると、119人もの外国人技術者が日本の鉄道で雇われていて、殆どが神戸や横浜の居留地に住んだ。これらの人々は、ノウハウと専門知識を移転のためにはどうしても不可欠だった。

1877年(明治10年)になると、大阪駅に技師養成所ができて知識の移転が系統的に行なわれるようになった。その校長はイギリスの主任技師T.R.シャーヴィントン(T. R. Shervinton)だった。5年ほど経ってこの学校は閉鎖されたが、その時点での卒業生は24人で、彼等は日本の鉄道システムを更に発展させる上で先駆者となった。2

最初の機関車、客車、貨車は全てイギリスからの輸入だった。しかし1880年代になると、アメリカ(ピッツバーグのポーター株式会社)やドイツ(ミュンヘンのクラウス機関車製作所)からも輸入された。1890年代と1900年代には、更に多くのアメリカ製やドイツ製の機関車が輸入され、スイス、フランスやベルギーからも数は少なかったが輸入された。日本の鉄道は、1872年(明治5年)には総延長僅かに29キロ、乗客数は50万人にも満たなかったが、それから爆発的に拡大して1902年(明治35年)になると、総延長1,974キロ、利用者数が3,200万人近くになり、日本はヨーロッパやアメリカの機関車メーカーにとって重要な市場の一つになった。

1893年(明治26年)には、日本最初の機関車が神戸の国営工場で作られた。これを監督したのは、蒸気機関車の発明者の一人の孫にあたるリチャード・トレヴィシック(Richard F. Trevithick、1845~1913)だが、部品の殆どはイギリスからの輸入だった。輸入機関車のコピーが1890年代と1900年代には日本各地で数ダースも作られ、1906年(明治39年)から1907年(明治40年)の間に大手鉄道会社17社が国有化されると、日本での機関車の本格的な製造が現実となった。

日本人として初の運転手が現れたのは、1877年(明治10年)のこと。1885年(明治18年)からは、日本人のみを運転手として雇うことになり、外国人運転手は全員が解雇された。しかし時刻表を作るのは依然として外国人の運転管理者だった。1880年代後半になって、訓練を受けた人の数が充分になって、この仕事を日本人に引き渡すことが可能になった。3

日本の鉄道網は、日本人が運用するようになって全国に広がった。1872年(明治5年)には横浜と東京の新橋の間の僅か29キロ間に過ぎなかったが、第二次大戦の始まった1940年代初めには18,000キロ以上に伸びた。スピードも大いに向上して、1889年(明治22年)は神戸・東京間を鉄道で旅行するには20時間かかったものが、1930年(昭和5年)には僅か9時間になった。日本の技術者は、所要時間を半分以下に縮めることができたのである。4

鉄道網が発達したのは、日本の産業革命の結果でもあり、それを促すものでもあった。鉄道技術が産業化の過程と切り離せないものであると同時に、そのネットワーク自体が、急速に発展する新規産業の製品を集配するのを容易にした。

明治政府の「文明開化」政策を象徴するものとして、鉄道は西欧の文明と技術を普及する助けともなった。のんびりして時間にルーズだった日本人を、世界で最も時間に几帳面な人々に変えたのは、鉄道の貢献が非常に大きい。マイナスの面としては、日本の植民地政策と軍国化を可能にした。

鉄道が日本の近代化に果たした役割は極めて大きく、日本の近代化の礎石と呼ばれてきた。

皮肉なことに、日本では近代的な鉄道網を作ることが大成功を収めたことが、道路網を比較的未開発のままにした。明治時代(1868~1912)の初め、日本には広く道路網が発達していたが、これは徒歩や馬で旅行する人々のために作られたもので、有名な東海道などの街道では車による運送は禁止されており、また馬車も知られていなかった。治安維持の理由から、主要な街道では橋を架けることが許されておらず、そのため貨物の運送は船によることが多かった。

鉄道は物も人も殆ど何処へでも運べること、それに馬車による輸送の歴史がなかったために、車は20世紀初めのアメリカのように重要なものにはならなかった。1945年(昭和20年)に日本に上陸したアメリカ軍は、一様に日本の道路の悪さに衝撃を受けた。尤もこれは直ぐに変わった。1960年代には日本政府が意欲的な高速道路の建設計画をスタートし、今では日本には優れた道路システムがある。

しかし、鉄道網の開発は止まらなかった。1964年(昭和39年)には新幹線(弾丸列車として知られる)が開業して、大阪・東京間の旅行に要する時間が僅か4時間に縮まった。現在ではこの同じ区間の旅行時間は約2時間半。

現在の地図を見る

東京・神戸間の旅行時間

1889 20時間以上
1896 17時間以上
1903 15時間
1930 約9時間(第二次大戦後には7時間に短縮)
1964 4時間以上(大阪までは新しく開業した新幹線を利用)
現在 3時間以下(新幹線利用)

(Japanese Railway History 3: Growth of Independent Technology.3)

日本の鉄道網の拡大

距離 (km) 利用者数
1872 29.0 495,078
1882 184.7 6,003,802
1892 886.1 12,873,547
1902 1,974.1 31,897,045
1912 8,395.9 162,793,85
1922 11,274.6 516,315,575
1932 15,372.1 789,240,132
1942 18,581.4 2,321,899,076

(Japanese Railway History Special Pictorial: Landmark Locomotives.5)

脚注

1 Aoki, Eiichi (1964年3月). Japanese Railway History 1: Dawn of Japanese Railways, Japan Railway & Transport Review No. 1: 28~30ページ

2 同書

3 Aoki, Eiichi (1994年10月). Japanese Railway History 3: Growth of Independent Technology, Japan Railway & Transport Review No.3: 56~59ページ

4 Kato, Shinichi (1995年12月). Japanese Railway History 6: Upgrading Narrow Gauge Standards, Japan Railway & Transport Review No.6: 56~59ページ

5 (1996年3月). Japanese Railway History Special Pictorial: Landmark Locomotives, Japan Railway & Transport Review No.7: 38~41ページ

公開:
編集:

引用文献

ドゥイツ・キエルト()1930年代の大阪・大阪駅、オールド・フォト・ジャパン。2025年02月08日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/563/osaka-eki)

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