神戸の海岸通の静かな一日。漁師達が、護岸の前の砂浜に舫っている自分達の漁船で作業している。
中央にある大きな建物は、2番地にあったウォルシュ・ホール商会のオフィス。1868年にアメリカの貿易商ジョン・ウォルシュが自分の兄弟と共に設立した会社で、三宮にあった製紙工場を持っていたが、これは三菱製紙の前身である。2番地にあった建物は、その後香港上海銀行に売却された。
右の端に見えるのは3番地にあった茶の輸出商スミス・ベイカー商会。

この写真は神戸を訪れた人が全て下船したアメリカ波止場から撮影したもの。この場所は見えないが、今のメリケンパークの一部である。

その当時未だ兵庫と呼ばれていた神戸が、1868年の元日に外国貿易港として開かれた時は、不毛の砂地でしかなく、大きな嵐が来ると洪水に見舞われた。今では全てがコンクリートとアスファルトだから想像もつかないが、当時は漁師達がここの美しい浜辺で網を投げて鰯を獲っていた。
ハロルド・ウィリアムスが、「日本の外国人居留地物語」で、最初の居住者の印象を見事に描写している。1
「乗船していた商人達は、自分達の住まいとなる砂の荒地、大阪に向って延びていて大部分が曲がりくねった古い松の木の並ぶ長い砂浜を見つめていた。彼等がいささかの不満を持ちながら考えていたことは、この居留地を嵩上げして台風が襲って来た場合の海水の浸入を防ぎ、不毛の砂地を商取引の中心にするのは厳しい作業になろうということ。定められた上陸の時刻を待つ間、商人達が次に考えたのは住宅の問題だった。 将来の居留地の東側、大阪に向う辺りは殆どが畑だった。西側は人家の稀な神戸の村、幾つかの造り酒屋と倉庫、それに何軒かの茅葺の漁師の住まいがあった。元町は狭く、臭いで溢れた道路で、何インチもの泥に覆われており、両側には貧弱でみすぼらしい建物が並んでいた。村を見下ろす丘には幾つかの寺が見えたが、夫々が木立に囲まれていた。」

水は山側からも流れ下ったので、この辺りは浸水地帯で流砂が多かった。このように考えも及ばない場所に、イギリス人の土木技師ジョン・ウィリアム・ハートが遂にエレガントな欧風の居留地を建てたのだが、ここは道路、ガス灯、煉瓦造りの下水路、それに公園を備えていた。
ハートと彼が建てた町に住み着いた外国人社会は、素晴しい成果を挙げた。神戸は程なくして横浜より遥かに気楽で安全な、「極東の模範的居留地」と呼ばれるようになった。横浜では貿易港として開港後の最初の数年間は、恐ろしい殺人事件が連続して起こっている。その中で複数の死者が出た生麦事件は、1863年の鹿児島砲撃まで惹き起こした。
神戸では、1868年に二度の恐ろしい事件があった。2月4日に、備前藩(現在の岡山県の一部)の侍が外国人と衝突して、死者は出なかったものの外国人居留地は数日間非常事態に陥った。最悪の事件は、その一ヵ月後大阪湾の対岸にある堺でフランス人水兵が11人殺されたこと。その後は神戸は静寂に戻り、それがそのまま続いた。
神戸で初めて土地が売りに出された時、最も人気があったのは海岸沿いの土地だった。ここには湾の素晴しい眺めが楽しめる豪華な家や事務所が建てられた。間もなく海岸通は魅力的な遊歩道になり、物見高い日本人達が集まって、外国人とその家族が見慣れない服装で散歩し、ポルトガル人のアマチュアバンドや、寄港中の外国軍艦のバンドの演奏に耳を傾けるのを眺めたものである。2
貿易商の多くは、海岸通に店を構えた。彼等の事務所や倉庫からは茶、香料、絹の切れ端の匂いが漂っていた。3 日本人、中国人や西洋人の従業員が色々な言葉を話しながら出入りしていた。商品は手押し車で配達されるか、西洋からの帆船に積み込まれた。無数の日本の小舟が港中を行き交っていた。この眺め、匂い、騒音、これ等全てが混ざり合って外国人居留地にのみ見られる独特の雰囲気を醸し出し、訪れるには異国的な場所だったことは疑いがない。
1920年代になると、護岸は撤去され港の一部は埋め立てられて街路が広くなった。嘗ての海岸通は海から遥かに離れてしまい、当時は美しかった湾の眺めは、今では建物と高架道路に遮られてしまった。

脚注
1 Williams, Harold S. (1958). Tales of the Foreign Settlements in Japan. Charles E. Tuttle Co., Inc., 65. ISBN 0804810516
2 同書、84-91.
3 同書、180-183.
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1880年代の神戸・海岸通の建物、オールド・フォト・ジャパン。2025年02月08日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/501/kaigandori-no-tatemono)
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写真番号:70523-0002
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