旅館の従業員達が玄関で泊り客を出迎えている。このように床に座って深々とお辞儀をする光景は、今でも日本中の旅館で見られる。
旅館の起源は、奈良時代(710~783)の無料休憩施設だった「布施屋」にある。当時は旅人が泊まるところがなく、屋外で寝泊りしたので盗賊などに襲われることもあった。長旅で食べ物を手に入れるのは大仕事で、餓死する旅人も少なくなかった。旅の危険を少なくするために、僧侶達が作ったのが布施屋だった。また都の周辺に街道が組織的に作られたのも奈良時代で、これも旅を奨励したに違いない。
平安時代(794~1185)になると、支配階級のエリート達の間で、巡礼の旅に出るのが流行った。これらの巡礼達は、有力な一族や寺院、神社などが所有していた荘園や寺院そのものに泊まった。寺院の宿泊施設はその後「宿坊」と呼ばれるものになり、それが現在でも残っていて、一般の人々が寝泊りできる。
本当の旅館に近いものが出現したのは鎌倉時代(1185~1333)のことで、「木賃宿」と呼ばれた。これらの安宿では泊り客は薪代だけを払って、自分達で料理した。
江戸時代(1603~1868)に入る少し前に、徳川家康が新たに国内を統一して全国に街道を作り始めると、宿屋はより大切なものになった。経済が発展して商取引が盛んになると、その重要性は更に大きくなった。そこで「旅籠」と呼ばれる食事を出す宿が生まれた。江戸時代の後半には、木賃宿は殆ど残っておらず、旅籠が中心になった。
旅籠以外に、本陣や脇本陣があったが、これらは幕府の役人達が街道沿いの宿場で泊まるための公的な宿だった。これらが極めて重要になったのは、参勤交代の制度によって大名達が一年中の一定期間江戸に住まなければならなくなったこと。そのための旅は殆どが徒歩で、宿場と宿場の間は徒歩で一日がかりだったので、街道沿いには信じられないような数の旅館が繁盛した。
江戸時代、一般の人々が旅をすることは許されていなかったが、巡礼やその他の信仰の旅に出ることはできたので、当然このような旅が大変流行った。温泉や有名な観光地への短い旅も普通は許された。
明治時代(1863~1912)になって旅の制限がなくなり、日本中に鉄道ができると、レジャーだけが目的の旅が始まった。参勤交代が廃止され、徒歩旅行が姿を消すと、昔からの宿場と宿屋も次第に姿を消した。しかし、たちまち企業心に富んだ事業家達が鉄道旅行による事業チャンスがあると見て、国中の新しい駅近くに旅館が林立することになった。
初めは昔の旅籠のようなものだったが、第二次世界大戦後は多くの旅館が新しくコンクリート作りになった。現在日本中に55,000軒ほどの旅館があるが、昔からの木造旅館はむしろ稀で、通常料金も高い。このような旅館に泊まったことのある人は、美しい田園を背景にした木造旅館に敵うものはないことを知っている。サービスは普通信じられないくらいで、これに優る体験はできない。
脚注
1 詳しいことは日本旅館組合のホームページにある。
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1890年代・お客のお出迎え、オールド・フォト・ジャパン。2025年02月08日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/376/demukae)
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