大阪にあった風俗街松島の風景。堂々たる遊郭の前に停まっている人力車と使用人たちが写っている。
松島は1868年(明治元年)に大阪にあった川口の外国人居留地の近くにできた。松島遊郭ができたのはその翌年。
僅か数年後の1872年(明治5年)に、大阪府は近くの江之子島にイギリス人建築家ウオルターズの設計による新たな大阪府庁舎の建設を開始。完成したのは1874年(明治7年)で、その後1926年(大正15年)11月まで市庁舎として利用された。近くに外国人居留地や、賑やかな風俗街があり、西洋風の大阪府庁舎(短期間だが大阪市庁舎も同居していた)があったので、この一帯は出かけるには面白いところだったに違いない。
この地区は新しくできたので、新しい地名が必要になった。松島という地名は、松ヶ鼻と寺島という2つの村が合併してこの風俗街が生まれたことから付けられたもの。
1921年(大正10年)松島の最盛期には、約4,000人の女性が働いており、幅約12メートル、長さ360メートルの本通に面して275軒の楼閣が並んでいた。
松島はこの間数多くの逆境を乗り越えて来た。1885年(明治18年)には火災で一部を焼失し、川口居留地の外国人も1899年(明治32年)までには神戸に移った。1926年(大正15年)には、人望のあった大阪の政治家が何人か関わった派手な金銭スキャンダルの舞台になった。
最悪の事態は、1945年(昭和20年)のアメリカ空軍による焼夷弾爆撃でこの一帯が全滅したこと。戦後、旧遊郭街は公園となり、その西側に新しい遊郭街ができた。昔の賑いには及ばなかったが、かなりの復興を見せた。
1958年(昭和33年)に売春防止法が施行されると、これらの遊郭は松島料理組合を結成して、この紛らわしい名前の下に売春業を何とか続けている。
関西で今でも売春が公然と行なわれているのは9箇所あり、この一帯はその一つ。他には飛田がある。男性の最も基本的な衝動をなくすのは簡単ではないようだ。
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1880年代の大阪・松島遊郭、オールド・フォト・ジャパン。2025年11月08日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/177/matsushima-yukaku)
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写真番号:80115-0023
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