三味線を作っている丁髷姿の職人とそれを手伝っている着物姿の女性。5本の三味線が壁に立てかけてある。
職人が右肩を片肌脱ぎにしているのは、作業をやり易くするため。
三味線の歴史は長い。1390年頃に蛇皮で覆った3弦楽器が中国で出来上がり、その後琉球王国に伝わった。これが蛇皮で覆った「三線」という名で知られるようになった。
約一世紀後、この楽器は琉球の音楽家赤犬子によって改良が加えられた。この人物は琉球三弦の基礎を作った演奏家。
この三線が貿易船で日本に齎されたのは1562年頃。日本では蛇皮が琉球のように一般的ではなかったので、代わりに犬や猫の皮が用いられた。この楽器は、安土桃山時代になると更に変化が加えられて、大変異なったものになった。
三味線が信じられないほど普及したのは江戸時代で、歌舞伎や、音楽全般とは切り離せない楽器となった。1
三味線は今でも元気だが、丁髷のほうは相撲の力士にしか見られない。
丁髷を結ったのは男性だけで、元来は武士が戦いの際に兜を固定するために結ったもの。頭を剃って、残った髪の毛に油をつけて頭上で小さなポニーテールの形に結び上げていた。丁髷は侍と結び付いていたので、ステータスシンボルと見做され、人気が高かった。
1871年、断髪令が出されて侍は丁髷を切ることが奨励され、丁髷を切る前に侍が写真を撮りに写真館に殺到したので、ちょっとした写真ブームが起きた。
断髪令のために、「じゃんぎり」或いは「ざんぎり」と呼ばれる西洋の髪型が次第に普及し、これがまた写真家が丁髷姿の人々を探すことになった。
この写真は日本で紹介され、説明もイラストレーションも日本人の手による。編集したのは、F. ブリンクリー海軍大佐。2
この本の写真の出所は玉村康三郎(1856〜1923?)。
脚注
1 Columbia Music Entertainment, 日本の伝統音楽:三味線2008年3月10日検索
2 Captain Brinkley, Frank (1897). Japan, Described and Illustrated by the Japanese, Shogun Edition. J B Millet Company.
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1870年代・三味線職人、オールド・フォト・ジャパン。2025年02月08日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/141/shamisen-shokunin)
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写真番号:70614-0005
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