着物姿の婦人が二人玄関に立っている。この家の持ち主は裕福な家族のようだ。
大きな石灯籠があって、玄関の前に広い空間があるので、玄関と門の間も広いようだ。玄関という言葉が最初に使われたのは17世紀で、「有力な武士や将軍の住まいにあった門番小屋或いは家臣の部屋から突き出したポーチのようなもの」だった1。それ以外の人々が玄関を作ることは禁じられていた。しかし、18世紀になると裕福な商人や、村の長老、医師や有力な神社の神官などはこの例外とされた2。明治時代(1868~1912)になると、このような禁令の多くは廃止されて、玄関を作る家が増えた。
この写真は、関東大震災で東京、横浜やその周辺が壊滅した後に撮影されている。この震災は、ここに写っているような木造建築の終わりの始まりだった。
日本の木造建築は、何世紀にも亘って火事の原因だった。東京では、火事が多く「江戸の花」とまで言われた。これらの「花」は貪欲だったがよく知られていて、遥かに長閑な春の隅田川南東岸の花見にも劣らぬほど物見高い群集が集まったものだ。
これらの火事は決して小さいものではなく、1657年の江戸の大火では10万人を超える死者が出た。1879年や1881年でも、大火によって1万戸以上が消失している。1892年の火災では、約4,000戸が焼失した。東京だけではなく、日本の大都市には殆どと言って好いくらい、大火の記録が残っている。
日本では常に木造建築で再建を行って来たが、関東大震災の後はこれに代わって鉄筋コンクリートの建物を選んで建てるようになった。第二次世界大戦で日本の都市の多くが焼夷弾で破壊されたので、木造建築は大都市では益々稀になった。間もなく、日本ではコンクリート建築が普通のことになり、京都のような爆撃を免れた都市でさえ、木造建築が姿を消し始めた。
1960年代には、京都の街を眺めても低い木造家屋が未だ広がっているのが目に入ったが、今では殆どがコンクリートのジャングルで、その中に歴史的な寺や数少ない町屋が残っているだけになった。
日本の大工は何世紀もの間、建築家でもあり建築業者でもあったが、このような流れの中でその終わりが始まった。井上十吉は彼の優れた外国人向けの著作「Home Life in Tokyo」で、明治時代末期の東京の日常生活のことを語っているが、大工については次のような興味深いと共に驚くほど批判的なことを書いている。3
日本には建築家や建築業者というはっきりした職業はなかった。今でも普通の住宅を建てるのはそのどちらでもない。建築をやるのは大工である。大工というのは大変尊敬される仕事で、日本語では「棟梁」と呼ばれ、全ての職人の頂点にある。家を建てる場合は、棟梁が呼ばれて設計プランを作り、それが承認されると、手伝いや職人を集めて工事にかかる。その他の瓦職人、左官、建具屋などの職人は棟梁の下で働く。棟梁は通常無教育で、仕事は手伝いからスタートして働くことを通じて身につける。そして勤勉さか知性が自分の親方に認められて、棟梁に取り立てられる。金持ちのパトロンを見つけることもあるが、家が大工で父親を継ぐというのが、より可能性が高い。手伝いとしての年季中や年季明けの職人としての仕事で身に付けた知識を活用するだけでは、棟梁が自分の創意工夫を発揮するチャンスは少ない。何故かといえば、日本のこれ以外の手工業と同様に、昔からの技法がこの業界でも支配的で、棟梁もそれに従う必要があるから。だから、日本の住宅建築では単調であることが明確な特徴で、日本の住宅全てに、スタイルの同一性がある。
井上はまた、冬の間の日本家屋の寒さ、盗難に会い易いこと、老朽化が早く取り壊して建て替える必要があることなどが難点だとしている。井上が日本家屋について欠点としてここで挙げていることには、多くの日本人が同じ意見のようだ。不動産業者に聞けば、洋風建築の住宅を好む客が圧倒的に多い。
外国人の場合は、概して日本の伝統的な建築に深く魅せられて、それが衰退しているのを嘆くのである。同じように感じる日本人も増えており、その結果古い民家を保存する認定NPO法人日本民家再生協会、それに京都の美しい町屋の保存を行なっている京町家再生研究会と(京町家作事組などの組織団体が生まれている。
このスライドは、ニューヨーク州教育局が、生徒に日本のことを教えるために作成した、一連の日本のスライドの中の一枚。
脚注
1 Japanese Architecture and Art Net Users System. genkan 玄関. 2008年10月15日検索。
2 同上。
3 Inouye, Jukichi (1911). Home Life in Tokyo. The Tokyo Printing Company, Ltd: 37.
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1924年・家の玄関、オールド・フォト・ジャパン。2025年02月08日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/602/ie-no-genkan)
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写真番号:80121-0001
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