前田橋(前面中央)に向って延びている通りが元町で、魅力的な商店が本拠を構えている。橋を渡ると本村通になる。
この通りを途中まで歩いて小田原町まで行き、左に曲がると横浜の中華街の中心に行き着く。ここは、この頃の外国のハンドブックには、「悪臭を放つ」と書かれている町。この写真の上のほうの左側の加賀町は、倉庫や茶の加熱を業とする倉庫が数多くあることで知られていた。
元町のショッピング街から大変急な階段を102段登ると一つの丘に通じており、そこに有名な茶店がある。この写真はその場所から撮っている。ここからの横浜や港の眺めは素晴しいが、富士山も眺められる。この濱はペリー提督(1794~1858)が好んで休息した場所として、地元では知られている。初めの頃ここにあった茶店には、提督が書いた詩が残っている筈だとさえ思われていた。1
この場所に特別の思い出を持っていたのはペリー提督だけではない。作家谷崎潤一郎(1886~1965)は、元町の外国人相手の店に魅了されて、「花屋、洋服店、帽子屋、パン屋、カフェなどでは、店頭を飾っているものが花、菓子、洋服など何であっても、西洋の色彩が荒々しく溢れている。」と書いている。
西洋人は中華街の臭さを取り上げるのが常だが、谷崎の場合は西洋文化の臭いに気づいていて、「葉巻の匂い、チョコレートのアロマ、花の香り、香水の匂い - 中でも一番強いのは葉巻とチョコレート」だと書いている。2
今でも元町は、財布に何度も手を伸ばしたくなるような魅力のある店が並ぶショッピング街だが、眺めは大きく変わっている。堂々たる船が並んでいた港の素晴しい眺めは、コンクリートのビルの海に完全に塞がれてしまった。前田橋もその下の運河も、怪獣のような高架高速道路に隠れて見えない。ペリー提督も谷崎も大きなショックを受けるだろう。
脚注
1 Terry, T. Philip (1920). Terry’s Guide to the Japanese Empire Including Korea and Formosa. Houghton Mifflin Company, 20.
2 谷崎潤一郎(1923年)『肉塊』。
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引用文献
ドゥイツ・キエルト()1900年代の横浜・元町からの眺め、オールド・フォト・ジャパン。2024年12月04日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/353/motomachi-nagame)
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写真番号:70124-0007
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